地震のあった一日
いつもの金曜日。今日が終われば週末だという惰性にも似た気持ちが、一瞬で吹き飛びました。
最初に揺れを感じたときは「あれ?揺れてる?オレだけ?」みたいな冗談を言っていましたが、数秒後には収まるどころかどんどん揺れが大きくなり「お?お?お?おお?おおお?」みたいな言葉にできないような状態。
その後、周りから聞こえてくる情報だけを元に、自分たちの仕事に戻ったわけですが、続く余震に落ち着いて仕事なんかしていられない状況。それでも気持ちを強く持ち、プログラムのテストをしていたわけです。恐怖と不安でアドレナリンやらドーパミンやらもばんばん出ている模様であり、「人として、今、プログラムの単体テストなんてやってる場合じゃない気がします」とか言いながら。
すぐに妻や親、友人から安否確認があり「こちらは大丈夫」と言っていた頃は比較的呑気でした。Webの情報で「10mの津波がくるらしい」とか言うのは見ていたけれど、TVの映像を観れるわけでもないのでただ淡々と仕事をしていました。
当然、電車が動いていないのは承知していたわけですが、会社のポータルを見ても特に指示もないし、定時まで仕事をしてから先輩と徒歩での帰宅を決意して退勤。
場所が目黒でしたが駅前から新橋駅行きのバスというのが出ているのでその列に並んでいたところ、1時間ほどで東京タワー行きに乗ることができました。比較的車もすいていて、御成門まで行くことができました。御成門の停留所手前で大渋滞になり、運転手さんが気を効かせて「歩いていったほうが早いから」とドアを開けてくれました。
御成門からは真っ直ぐ、日比谷を抜けて九段下を通り、御茶ノ水へ。そのまま本郷通り沿いに行けば帰れるので、上野方面の先輩とうどんを食べたあとにお別れをしてそのまま北上すべく一人行軍を続ける。
途中でバレー時代からの古傷の膝が痛み出し、それでも頑張って歩いて、歩き出してから4時間後くらいに家に到着することができました。
先に、こちらも徒歩で19時半頃に帰宅していた妻とようやく合流。お互い連絡を取りながらでしたが顔を見るとやっぱり安堵。
今回学んだことはたくさんあります。
大きかったのがお互いの安否を確認するための通信手段。通常は携帯電話ですが、このような事態ではつながりません。メールですが、こちらも遅延が懸念されます。今回使ったのはGmail。携帯からGmailを使って連絡をしてました。これであればGoogleのインフラを使えるので携帯キャリアのメールより配送遅延の心配が少なそうということで。Twitterも使えたと思います。
他にも、お互いの職場の周りの避難所の把握や、非常食や水の備蓄などなど。
購入して2年のマンションは、部屋の中の小物数点が倒れたくらいで、内装、外装とも大丈夫でした。一安心。
テレビで観て、改めて恐怖と不安が入り混ぜになって押し寄せ、朝は落ち着いて座っていられないくらい。いつ起こるとも分からない大災害に、自分が意識していた以上に、本当に日頃から備えておく必要があるということを痛感しました。
被災者の皆様にはお見舞いとエールを送るとともに、すでに亡くなった方のご冥福を祈りつつ、現在も救助活動中の皆さんを激励し、被災地の今後の復興を心から願います。